隣町の高校に通い故郷を出てからうつな症状が出ていましたが、自分の意志が通らず人間関係を作らねばならないと考える様になってからのことでした。最初は、普通に2カ月位学校に通っていましたが、その後、部活を始めるようになり、ハード過ぎるトレーニングから初日から30分の空気椅子などでアキレス腱がつり、過酷さを体験しました。それでも、中学時代から初めていた部活でしたので、入部を決意してしまったのです。しかし、部員はその高校では上位5位以内の成績者と学年トップの後輩が入部してくるなどで、推薦でしか大学の道がない高校で大学を行くには上位数名の枠に入る必要があったので励みになります。推薦で大学を行く目的で高校を選んでいた私は、市内の高校では普通科が3つしかないのですが、1つのトップ校以外は受験での進学は厳しいとされていたので、市外の町にある4番目の高校で1番を目指しました。大多数が卒業後は専門学校か就職の中で1年目は浪人する覚悟がいる位の成績でした。その後2年目から必死になり、恋愛事情の色々や部活動、書道そして進研ゼミでめまいや視力の低下など体調不良が出て脳神経外科でMRIで診てもらったこともあるくらいです。結果は問題なしでしたが、立ち眩みもある中で時々友人と遊ぶこともありましたが、疎遠な人間関係に疲れを感じながらの付き合い方でした。3年目は進学に専念できた上に河合塾に春から入れてくれたので、だいぶ気分が楽になりました。そうやって、やっと漕ぎつけた上位30番以内で指定校推薦枠に希望していた学科のある大学を基準値以内であるのを見つけまして、晴れて大学進学です。町の高校からの大変さと現実に突き進むだけでした。そのまま、道内の私立大学に入学したのですが、またしてもレポートが多いと有名な大学で、他の人は友達をさっと見つけていましたが、私の場合は最初は多少付き合いで交流を図っていたのですが、結局サークルも高校時代の大変な日常の反動で断ってしまい、自由なマイペースな暮らしを望んでしまいました。なので、レポートは多い大学でしたので、忙しくもあり小学時代からの友人で高校が違う同じ大学同じ学科でしたので、何かと親睦が深くレポートの協力とインターネットをやるのに、ほぼ毎日私のアパートに遊びに来てくれていました。平和でしたが、それでも気分は憂鬱感が抜けず社会的違和感がありました。毎日午前3時まで起きて、レポート、テレビ、ゲーム、インターネットと好きに暮らしていましたが、自炊でしたので買い物はしてましたが、満喫はしてました。時々、札幌の短大に進学した中学時代の友人が小樽の祖母の家から通っていたので小樽の観光案内をしてもらったりと楽しませてくれたのを覚えています。大学時代は対人恐怖症や醜形恐怖症のような心理状態でしたので気ははっていましたがアルバイトもせずに勉強だけしてました。1回生は必修の単位を2科目落として2回生で再履修になりました。他は特に問題なく暮らしていたはずです。夏には高校のある町の自動車学校で休みの間に通って免許をぎりぎり1回だけ仮免許の坂道発進とS字クランクでミスをして、多少遅れながらも筆記は95以上で2回目で合格して、本免許では1発合格で無事取得でした。最初はミラーの確認が挙動不審で落ち着かず、運転するたび肩が凝るという大変な状態でした。その後、3回生になり専門コースを選ぶようになり、とりあえず卒業後の免除される国家資格に必要な科目を履修して、少しだけ科目を減らしました。おかげで楽にはなりましたが、後で資格免除に必要な科目も履修していなかったことに気づきショックがありました。希望の学科の学問でしたので、楽しいとは感じて暮らしていました。4回生になり、今度は1科目だけ資格免除に必要な科目を落としましたが卒業には問題なく、卒業論文に入りました。希望の教授のテーマに入ることはできたので良かったです。今も登山で付き合いがある高校時代からの仲間も同じ大学にいたので、時々遊びに行くこともあり温泉付き合いで行っていました。就職活動も始まっており、座ったままの仕事が閉所恐怖症ばりの心境で人との折衝が苦手だったため厳しいと感じ、現場仕事ばかり選んでしまい、就職氷河期とまで言われていた時代でしたのですが、就職浪人を恐れて必死で探して道内がなくて東京就職が無事に10月に内定し、そのまま決定しました。気分的には、体調はどうあれ社会人としてしっかり旅立てることが悩みを無くす絶対条件だったので、決まったことに喜びがありました。高校普通科、大学工学部電気電子工学科の計7年は生きてはいましたが体調不良とうつ症状の重い気分は続いたままでした。大変な時ほど真剣だったと覚えています。今までも厳しい事との方が多いですが、山あり谷ありでそれでも目標をもって諦めず挑戦し、人生を生きていく事が大事だと考えています。学生時代は辞めない限り、やるべきことがあるので他は自身の人間的成長を考えて活動するので問題ないです。仕事と社会は実践あるのみの経験値なので、学生時代が主に「軽いうつ病」だった私はある意味不幸中の幸いです。しかし、貴重な若い時間が勉強と「軽いうつ病」で終わってしまったことは惜しい気がします。「軽いうつ病」は治せる病気です。そのかわり、病院でも未だ明確な治療法がわかっていないものでもあるので、治す方法だけ分かれば実践あるのみです。脳の状態の意識部分なので自ら脳の状態をコントロールできるように勉強してください。人によってはすぐに治せる可能性はあるはずです。